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Keio Times(特集)

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四季と歴史を彩る義塾の銀杏

2024/03/26

大学キャンパスを象徴する樹木と言えば、まず銀杏(いちょう)を思いうかべる人は多いだろう。もちろん慶應義塾も例外ではない。三田キャンパス中庭にそびえ立つ大公孫樹(おおいちょう)、そして日吉キャンパスの「顔」でもある約100本からなる壮麗な銀杏並木。キャンパス創成期から塾生と共にあり、世紀を超えて義塾の歴史を見つめ続けてきた最も身近な“学友”でもある銀杏にスポットを当てる。

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明治44年卒業アルバムより。左後方が大公孫樹(福澤研究センター提供)

塾生たちの憩いの場
三田中庭の大公孫樹

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三田キャンパス正門を抜け、南校舎の階段を上がると、中庭にそびえる大公孫樹が目に飛び込んでくる。周囲に置かれたベンチ(慶應義塾維持会による寄贈)は塾生たちの憩いの場であり、アーチのように広がる枝は強い日差しや風雨から塾生たちを守っているようだ。

実はこの大公孫樹がいつ頃植樹されたのかは、はっきりとわからない。明治初年の絵図には描かれていないが、明治時代の三田キャンパスを写したと推定される写真の一角にはそれらしき若木が確認できる。三田には大公孫樹以外にも多くの銀杏の木があり、その中には島原藩中屋敷時代、つまり江戸時代から現在まで風雨や災害に耐えてきた木もあると考えられる。

詩人たちが書き残した三田山上、思い出の銀杏

三田山上の銀杏は文学者にも強い印象を残した。1910(明治43)年に入学した詩人の佐藤春夫もその一人。佐藤は数年後に退学したが、約20年後に「三田の学生時代を唄へる歌」という副題を添えた「酒、歌、煙草、また女」を発表。その一節に「ひともと銀杏葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語」とある。ここで歌われている銀杏が大公孫樹かどうかは定かではないが、彼が三田キャンパスのシンボルとして銀杏を強く意識していたことは確かだろう。

さらに1949(昭和24)年5月、三田文学会による公開講座「近代文学の展望」の講師として三田キャンパスを訪れた佐藤は、新緑の大公孫樹に次のように語りかけた。「(前略)ムカシ落葉ヲ踏ミタル校庭ノ公孫樹ノ鬱タル緑ニ薫風ノソヨグヲ仰ギ サテ近ヅキテソノ幹ニ手ヲ触レツツ 頑健ナルコノ古馴染ニ云フ 偉大ナル友ヨ 君ガ緑ハ年々黄バミテマタ緑ニ 我ガ髪ハ年々白クシテマタ遂ニ緑ナラズ」

義塾でフランス文学を学び、後にフランス語教師として塾生を教えた青柳瑞穂は、詩人としても活躍した。1928(昭和3)年、青柳はカレッジソング「丘の上」の作詞を担当。その歌詞には「丘の上には空が青いよ ぎんなんに鳥は歌ふよ 歌ふよ」とある。この曲が完成した年の秋の六大学野球リーグ戦で義塾は10戦10勝の快挙を成し遂げた。肩を組んで勝利をかみしめるムードにぴったりであることから、以来「丘の上」は早慶戦での勝利の歌として定着することになった。

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植樹された頃の銀杏並木。背後は第二校舎(福澤研究センター提供)

日吉の顔である銀杏並木
大学生らしい「銀杏伝説」

日吉キャンパスに入り正面の日吉記念館まで続く緩やかな坂道の銀杏並木。大空に向かうがごとく円錐形に整えられた約100本の銀杏からなるその光景はキャンパスの「顔」だ。植樹されたのは日吉開設の翌年、1935(昭和10)年で、すでに樹齢90年近い。毎年、日吉記念館で開催される入学式に向かう新入生を迎え入れ、秋には見事な黄葉でキャンパスを彩っている。

多くの塾生は「入学してから銀杏の葉が散るまでに恋人ができないと、4年間ずっと恋人ができない」という「銀杏伝説」を耳にしたことがあるだろう。もちろん一種の都市伝説であり、誰がいつから言い出したものなのか定かではないが、今も塾生の間でまことしやかにささやかれ続けている。

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丁寧な管理で樹齢を重ねるシンボルツリー

義塾の歴史とともに樹齢を重ねているキャンパスの銀杏。近年は銀杏があるキャンパス環境を守るための調査や整備が積極的に行われている。日吉の銀杏並木は、倒木の危険箇所を日常的に点検。剪定が必要な場合は目利きの棟梁に依頼し、剪定後は1年おいて影響がないことを確認した上で、他の木を切るなど万全の配慮をしている。

三田キャンパスでも大公孫樹をはじめ樹木に囲まれた心地良いキャンパス環境の整備に尽力。落葉シーズンには濡れた落ち葉での転倒事故を防ぐためにこまめな清掃も欠かさず行っている。

三田キャンパスに隣接する女子高等学校の同窓会は「銀杏(ぎんなん)の会」という名称だが、前述のカレッジソング「丘の上」の歌詞、すなわち三田山上の銀杏に由来するという。時を超えて、慶應義塾で学ぶ人々に愛されてきた銀杏。シンボルツリーとしてこれからも義塾の歴史とともに樹齢を重ねていくことを願う。

この記事は、『塾』 SUMMER 2023(No.320)の「ステンドグラス」に掲載したものです。

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