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静かな八月の日々を求めて

[法学部教授 細谷 雄 一+]

法学部教授 細谷 雄 一

バーバラ・タックマンの『八月の砲声』という著書をご存じだろうか。タックマンは、二十世紀のアメリカを代表する著名な女性ジャーナリストで、一九六二年に刊行した本書でピューリッツァー賞を受賞している。『八月の砲声』は、誰もが望んでいないにもかかわらず、拙劣な外交と、軽率な判断ミスが連続したことで、第一次世界大戦勃発へと転落していく様子を鮮やかに描いている。

一九六二年、世界は核戦争の一歩手前まで突き進んでいた。ソ連の指導者であるフルシチョフは、キューバ革命後の指導者フィデル・カストロとの関係を深めて、アメリカのフロリダ半島のすぐ先にあるキューバに核ミサイルを配備する準備を進めていた。そのことがアメリカの安全を深刻に脅かすことから、若きケネディ大統領は海上封鎖を行ってミサイル配備を防ごうと試みた。学生時代のケネディは、ヒトラーに対するイギリスの宥和政策の失敗に関心をもち、ハーバード大学では「ミュンヘンの宥和」という題目の卒業論文を書いていた。これはのちに出版されて、広く読まれている。ケネディは、独裁者に対しては強い態度を示す必要を感じていた。しかしながら、強硬姿勢を貫くことで核戦争に帰結する可能性もまた頭から離れなかった。

まだ四十四歳の若きケネディ。大統領就任から一年半ほどしか経っておらず、何が正しい選択なのか分からなかった。そのときケネディは、刊行間もないタックマンの『八月の砲声』を読み、誤解と、相互不信、そして無責任によって大国が戦争へと突き進む姿を見て、恐怖を感じた。この書物は、責任ある指導者が勇気をもって対話をすることで戦争を回避できる可能性を示唆していた。ケネディ大統領は、フルシチョフ首相と連絡を取り合って、核戦争を回避するための重要な合意に到達した。一冊の本が、歴史を動かしたのだ。

第一次世界大戦からちょうど百周年となる二〇一四年。安全保障専門家の間では、東シナ海や南シナ海での中国軍と米軍との偶発的な事故から、それが意図せぬ戦争へと発展する懸念が繰り返し説かれていた。結局、第一次世界大戦から百年を経過したその年の夏は、幸運にも静寂が続いた。八月の砲声が聞かれることはなかったのだ。静かな八月の日々。その静寂がこれからも続くことを願いたい。

『三色旗』2016年8月号掲載

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