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味覚・嗅覚


人間の感覚の中でも、味覚や嗅覚といった分野の心理学的な研究はあまり行われていません。ある意味、マイナーな分野といえるわけで、どちらかといえば、これから発展を遂げるだろうと思われます。そのため、あまり扱える情報はないのですが、さらっと触れてみましょう。

まず、味覚。味覚はもちろん、口の中から始まります。具体的には「舌 tongue」や「口蓋 palate」というところに分布している味蕾(「あじ」の「つぼみ」と書いて、「みらい」と読みます)、その中の味細胞を刺激することで生まれます。

もう少し生理学的に説明すると(難しくなるよ、という前振りです(^^;))、舌の前半分に茸状乳頭、後ろ半分に葉状乳頭と有部乳頭というのが分布していて、それぞれ前半分が鼓索神経、後ろ半分が舌咽神経へとつながっていて、それがヒトの場合、脳の中の第1次味覚野、だいたい後部島皮質と頭頂弁蓋部の移行部あたりに行って、そこから海馬や帯状回、扁桃体に向かって広がる(この辺は記憶、評価などのサーキットとして有名です)ということが最近わかっています。

心理学的な脳研究(つまり、PETとかfunction MRIなどといった機械を使った研究)によれば、嫌な味と感じるときと、好きな味と感じるときとでは脳の中で活動の差があるようです。具体的には脳の中の眼窩前頭皮質などのエリアでその変化は見られるよう。また、新しい味が何度も提示され、それによって快の度合いが高まると、島皮質の前部とその周辺領域が活性化されることもわかってきました。

さて、身近な話に切り替えましょう(^^;) 味の分類というお話です。味の分類は古代、アリストテレスがやっていて、甘い、苦い、酸っぱい、塩辛い、そして当時は、収斂味、刺激味、辛味、無味(insipid)、脂味などをあげていますが、現在考えられている味の分類のベースは、心理学者ヘニングが1916年に考えた、甘い、苦い、酸っぱい、塩辛いの4つを基本味としたものです。

その分類は長いこと使われていましたが、1980年に概念が作り直されました。これは、グルタミン酸ナトリウムとかイノシン酸ナトリウムなどによって生み出される味、いわゆる「うまみ umami, attractive quality」を基本味に付け加えようということになったからです。欧米人がうまみを感じるかどうかは食文化の違いなどもありますから微妙なところですが、少なくても日本人は「鰹節」とかにうまみを感じています。というわけで、これも現在では基本味として認識されています。

この辺の詳しいことについては、日本うま味調味料協会のサイトの[「うま味」は基本味]とかに詳しく書かれていますので、参考にしてみるとよいでしょう。

続いて、嗅覚に話を移しましょう。嗅覚は、鼻の中の上に位置する嗅粘膜部、その嗅細胞を刺激することで生まれます。それは嗅神経を通って、脳のその名も「嗅球」というところに行き、そこから1つは視床を経て眼窩前頭皮質中央後部へ、もう1つは視床下部を経て眼窩前頭皮質外側後部へと行きます。

ちなみに、臭いを提示すると、梨状葉、眼窩前頭皮質、島皮質下部などに活性が起こり、特にそれが不快なものの場合は扁桃体にも活性が見られ、しかも、主観的な嫌悪感は脳左半球の扁桃体との活性と強い相関があることが最近わかってきました。他にも嗅覚では三叉神経なども絡んでいるらしいです。

もちろん、臭いにも分類が存在します。なにしろ、臭いのある化合物というのはこの世の中で約40万種もあるそうです。ということで、先ほどのアリストテレス(7種類)、ツワーデマーカー(9種類)、レセプターを基準として分類したアムール(7種類)など、数多くの研究者が作った分類があります。

先ほどのあのヘニングも分類しています。それは花香性、果実性、腐敗性、薬味性、樹脂性、タール性の6つに分類し、それをプリズムの形で表現しました。それは後に、日本人研究者によって「酢臭」と「生臭い(腥臭)」の2つが加えられて拡張され、合計8つのプリズムとして確立しています。

まあ、あれこれあるわけですが、臭いというのはどうも文化が関係しているようです。たとえば、日本人にとって納豆は食べ物ですけど、ドイツ人にとっては不快な臭いでしょう。しかし、ドイツ人にとって食べ物であるマジパンは、日本人にとってきついものかもしれません。そのような文化による違いが明確にあるのです。

味にしろ、匂いにしろ、確かに基本的なものは同じかも知れません。たとえば、味で言えば、甘いは快につながり、酸味や苦味、塩辛いといったものは濃度が高くなると不快になる。それは新生児から見られます。

でも、そこには別のファクターが影響しています。たとえば、臭いの場合、生育環境が臭いの質の知覚を変え、快不快を変えてしまう部分があると考えられています。これが文化による違いです。もちろん、そのようなものは加齢の影響を受けたりするでしょうし、体臭のように、個体を特徴付けるようなものは遺伝子の支配を受けているらしいので、そういうスクリプトでは語れないかもしれませんが、それでも、やっぱり、文化による影響は見過ごせないと思います。

それに、その場その場で変わる事だってありえるのです。たとえば、閾値。閾値は直鎖構造を持つ化合物のほうが、側鎖構造を持つ化合物より閾値が高いと考えられていますけれど、でも、味覚には「後味 after taste」があったり、臭いだって、「これは体にいいから」とか言われたら耐えられてしまう、つまり、提示条件によって異なるところがあります。だから、なんともいえないのです。

これら味覚や嗅覚の研究は難しいところが多々あります。

ちなみに、臭いには連合した過去の記憶を思い起こさせるという「プルースト効果」と呼ばれる効果があります。つまり、記憶と匂いがつながって、匂いを感じるとその記憶が引き起こされるというものです。これは「失われた時を求めて」というプルーストの書いた小説に、マドレーヌの香りを嗅いだら、いろいろ思い出したというシーンがあることからそう呼ばれています。

これはよく覚えているというよりは情動的なもの。そのため、嗅覚的な符号化処理と同時に言語的符号化や視覚的イメージの符号化などがマルチになされて、その結果として引き起こされるのではないかと考えられています。

このようなこともこれからの研究でさらに詳しく明らかにされていくことでしょう。

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