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空間知覚


空間知覚といってもよくわからないかもしれませんが、たとえばテーブルの上に茶碗がある、のように「空間」のどこにその「事物」があるとか、向き、大きさ、奥行き(遠近といってもよし)、立体感などを指しています。

この空間知覚は視覚や運動系だけでは成り立ちません。たとえば「後ろから気配を感じる」のように、触空間とか聴空間なんてのも大事になってきます。しかしここでそれを述べると大変なので、説明しやすい視覚を中心として空間知覚を考えていきましょう。

さて、当たり前のことですが、目の網膜の上では「もの」は2次元です。もし3次元だとしたら、そこには「もの」そのものがあるわけで、痛いっていうか、それだけでは済まないっていうか、テレビなんか見た日には死んでます。

では、その2次元からどうやって空間(これは3次元)を捉えているのか?

ここでモリヌークスらは「距離とはその端が目に届く1本の線であり、したがって、それは眼底でただ1点になる」と言っています。こう書くとなんだかわかりませんが、図にするとこんな感じ。

[モリヌークスのアイディア+]

見てわかりますが、この場合、ターゲットLとL'は同じ線の上に乗っているので、その間にある距離を知覚することはできません。つまり、モリヌークスらの考えは「奥行きは目では直接知覚できないんだ」というものです。

しかし実際の人間はこれを知覚することができます。たとえば、家具かなんか見に行って、これ奥行きどのくらいかなあ?って見ることがありますね。奥行きというのはLとL'の間にある距離のことですから、この時点ですでにモリヌークスの考えに無理があるといえます。

しかし、心理学の歴史上、ギブソン(アフォーダンスで知られる)が明確な対案を出すまでにはなんと250年もかかりました。ちょっと考えればすぐにわかると思うんですが…。

この2人の考え方の違いを図にまとめるとこうなります。

[ギブソンのアイディア+]

モリヌークスは眼底のただ1点にまとまるという点から、直線を考えました。しかしこれは目とおんなじ高さのものを見るときだとギブソンは考えたわけです。そしてこれを「空中に浮かんでいるものを見ている」として空中説(air theory)と呼びました。

これに対してギブソンは、普通「もの」は地面にあって、それを見るものなんだ、と考えたわけです。そうするとWのところにあるものは目のWのところに写り、XのところにあるものはXのところに写る、つまり、ただ1点にまとまるわけではないと考え、これを大地説(ground theory)と名づけました。

どちらがよりらしいかは日常に当てはめればすぐに明らかですね?

さて、この図で着目すべき点がひとつあります。見ればわかりますが、線上ではXYとYZの間の距離は等しいです。しかしそれが網膜の上では等しい距離ではないのです。一定の変化率でだんだんと距離が小さくなっています。つまり、網膜上のYZの距離はXYより短いのです。

これが実は「勾配 gradient」という概念につながります。グラフィックやっている方ならわかるでしょう。あのグラデーションです。

代表例が「きめの勾配」です。きめ(texture)とはようは配列パターンのことで、さっき説明したように「だんだん距離が小さくなるような」とかを「きめの勾配」と呼びます。下の左の図はきめの勾配なし、右の図は左の図をPhotoshopで変形して勾配をつけたもの(具体的には下を狭く変形しただけ)。たったこれだけで、遠近感が違いますよね?

[勾配なし+] [若干勾配あり+]

もう1つ空間を考えるとき大事なのが「陰影」です。ただ単に円形を描いても立体感はないわけで、それに適切な影をつけることで、球になるわけですよ。この極端な例を考えてみましょう。

まずこの図を見てください。グラデーションのかかり方に注意。これは上から下に向かってかかってますね。そして内側に向かってへこんで見えると思います。

[上から下へグラデ+]

ではこの図を180度ひっくり返します。ほんと、ひっくり返すだけです。するとこうなる。

[モリヌークスのアイディア+]

はい、膨らんで見える!

これを「濃淡・陰影の勾配」といいます。空間知覚の研究者によれば、通常照明は上にあるから、それにしたがっているのでは?ということらしいですが、それだけでは片付けられない研究結果もありますので、まだ何故そう見えるのかは実は謎。

勾配にはもう1つ「流れの勾配」というものもあります。これは図で描くより体験してもらったほうが早いので、電車かなんかに乗ったとき、試してみてください。

たとえば、今が夜だとします。皆さんは電車に乗ってます。で、ドアから外を眺めています。

月を見ようと思ってちょっと見上げてみました。ゆっくりと電車の進行方向と同じ方向に月が動いて見えます。

今度は近くの電柱が近づいてきました。するとこれは電車の進行方向とは反対方向にものすごいスピードで進んでいくように見えます。

これが「流れの勾配」です。もともと「運動視差 motion parallax」の概念を拡張したもので、このパララックス(視差)という言葉は、カメラをやる人ならわかるかも。

ちなみにカメラのパララックスは、ファインダーとレンズが別れているそこら辺にある普通のカメラで写真を撮ると、見たまんまには撮れない原因として出てきます。つまり、見ている(ファインダーの)位置とレンズの位置がずれているから、見ているものなのに写ってなかったり、見ていないものが写ったりする。このズレがパララックスです。それを解消したのが一眼レフカメラで、ファインダーから見たまんまの写真が撮れます。

えー、カメラの説明はこの辺でとめておきまして…。

運動視差は「凝視点を境に近いものと遠いものとの間の相互の位置が相反する方向に向かって規則的に変化するよう見える」と説明されます。ギブソンはこれを拡張して、凝視点より近いか遠いかが流れる程度にも関わっていて、それは観察者からそのものまでの距離に応じて漸近的に変化するとしました。これが「流れの勾配」です。

言うと難しいですが、電車に乗れば絶対体験できますので、ぜひお試しを。ていうか、こうやって日常に置き換えていくことが理解に役立つものです。

[motion]

電車から外を見ると、手前側は進行方向に、奥側は進行方向と逆側に流れて見えるのがわかります。これが「流れの勾配」

これら「勾配」はすべて「片方の目」だけで有効です。しかし、世の中には「両目を使わないとダメなもの」も存在します。

さてここに重大なポイントがあります。実は右の黒目(瞳孔)と左の黒目の間はずっと遠く(一般に、無限遠)を眺めているときで約6センチ離れているのです。ていうか、目そのものが物理的に離れているんだから当たり前です。このため、3次元な「もの」を両目で見た場合、左右のそれぞれの目の網膜ではずれが生じています。これが実は距離感や立体感を生む要因であり、「両眼視差 binocular disparity」といいます。

両目で立体を得るためには「ステレオグラム」というのを使うのが手っ取り早いというか、あれを使わないと実感できません(つまり、ここでは無理)。大学の授業で「実体鏡(またはステレオスコープ)」というのを使う実験があったら、これをやっています。ちゃっちい割には数万円する機材なので壊さないようにしましょう(^^;)

実体鏡には専用のカードがついていて、それには右、左に1つずつ絵が描いてあります。それを実体鏡に差し込んで、メガネをかけるように覗くわけですが、実はこの実体鏡、右の図は右目だけ、左の図は左目だけにいくよう仕切りがされています。それを両目で見ると、立体に見える、というわけです。

このとき、右と左それぞれで見ても立体にならないようなものを見ると、「視野闘争 binocular rivalry」という現象が起きます。たとえば右と左で同じ「もの」を見たら、視差がないので立体にはなりません。でもそこに色をつけて、右と左でそれが違うとすると、たとえば赤と青なら、あるときは赤、次は青、なんてなって、交代したりする現象が起こったりするのです。

これらは両目でないと起こりえないのでこの場では再現不能ですが、どこかで体験できるようならぜひ体験してみてください。なかなか面白いものです。

というわけで、かなり駆け足でマンガやアニメがちゃんとそう見える理由、空間知覚を考えてきましたが、いかがでしたでしょうか(マンガは全部線でできているのに、ちゃんと奥行きを感じられるでしょう?)。

今回は説明しませんが、最先端の研究では「ランダムドットステレオグラム(RDS)」を使ったりしてさらに深いところにまで入り込んでいます。でもまだまだ謎のほうが多いのが実態です。

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