一番下へ
このページはPC版を携帯向けに変換して表示しています。

発達


認知の立場から発達を考えると、今までの数多くの心理学的理論が崩れます。たとえば、ピアジェの発達理論などはその代表例でしょう。

ピアジェは発達心理学にとっては「巨人」といわれるほど重要な役割を果たしましたが、死後すぐ、同じフィールドから批判が噴出し、今ではその理論を見ることすら難しくなっています(発達心理学の教科書にはいまだに載っていますし、児童心理学などでもよく引かれる理論ですが、実際にはすでに終わったといえます)。

これはピアジェの考え方そのものが根本的に間違っていた、というわけではなく、ピアジェの見方はよかったのだけれども、少し見方が甘かったというか、やり方が下手だったと考えたほうがよいでしょう。

たとえば、ピアジェによれば、赤ちゃんは極めて限られた認知的能力を持ち、それはたとえば動くものを追いかけて見たり、注視する程度とされています。そして成熟に伴って、いろいろな能力を獲得していく、と考えていました。

しかし、最近の研究では必ずしもそうではない、と考えられており、これらは「コンピテンス研究 competence reserach」で明らかにされています。

たとえば、ピアジェのいう「感覚運動期」つまり、新生児の頃は先ほども書いたようにほとんど反射的な反応しかできないと考えられていました。

しかし、実験してみると生後10ヶ月の段階ですでに外界の対象を1つの独立した存在として捉えることができることがわかっています。また数に対する初歩的な概念があることもわかっています。

たとえばこんな実験があります。

赤ちゃんの目の前にスクリーンを置き、その右と左におもちゃを置きます。その2つのおもちゃを一度、スクリーンの後ろに入れて隠し、続いて、右のおもちゃをスクリーンから出しては入れ、左のおもちゃを出しては入れます。大人な皆さんならこの時点でスクリーンの後ろには2つのおもちゃがあることがわかりますね?

ここで、スクリーンをどけるんですが、そのとき、実験者がどちらか片方のおもちゃを除いてしまい、1つだけにして提示します。つまり、本来なら2つなければいけないところを1つにしてしまうわけです。

すると、おもちゃを除かないときに比べて、赤ちゃんの注視する時間が有意に長くなったのです!

これはつまり、1 + 1 = 2というある意味計算ができると考えられ、数の概念を持っていると判断できます。つまり、1 + 1 = 1?なんだそりゃ?ってことで、注意して見るようになった、と考えられるわけです。

また、こんな実験もあります。

生後2ヶ月の赤ちゃんに「ある特定の大きさの立方体があると母親が出てくる」という条件付けを施しました。このあと、大きさの異なる立方体を見せたんですが、このとき、そのものとの間の距離をいくら変えても赤ちゃんは条件付けられた立方体に反応したのです。これは知覚心理学でいうところの、大きさの恒常性が成立していることを意味しています。

ピアジェの説で重要な「保存の法則」もすでに4ヶ月の赤ちゃんで見られることがわかっています。物理的な法則についてもある程度は理解できていると指摘されています。ピアジェが6歳くらいにならないと成立しないと言ったのに比べると、えらい違いです。

メタ認知である他人の考えや感情をどのくらいから認知できるか?といったこともすでに研究されています。これによると、たとえば、

誰かがお菓子を引き出しにしまう
→外に遊びに行く
→お母さんがお菓子を見つける
→お菓子を台所の棚に移す
→遊びに行った人が帰ってくる

なんていうスクリプトを見せたあと、「遊びから帰ってきた人は今、どこにお菓子があると思っているでしょう?」と質問を投げかけます。すると3歳児では「台所の棚」と答えるのですが、4歳児では「引き出し」と答えたといいます。

つまり、4歳頃からこのような他人の視点に立った認知ができる、と考えられるわけです。

このように、古い発達心理学が考えてきた理論はここ20年くらいでかなり消え去ってきています。しかしこれらはいまだに教科書には残っていますから、注意するようにしましょう。

さて、この能力が生得的なものなのか、経験によるものなのかはまだなんともいえない部分があります。確実に生得的といえるものがあれば(たとえば、生まれる前、お母さんがお腹の上から落語を聞かせていた赤ちゃんは、生まれたあと、落語を聞くと泣きやむことが研究によって明らかにされている。落語、というところが日本でやった実験らしいですね)、どうにも微妙なものもあるのです。

ただ、赤ちゃんは予想以上に高い能力がある、という視点に立つことが、重要だと思います。

[前へ] [次へ]

[トップページへ] [前へ]


一番上へ TOP