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分析心理学的療法


ユングはもともとフロイトの下にいた人でした。その彼は晩年になって、自分の担当したケースの3分の1は神経症なんかではなく、人生の意味や目標に苦しんでいて、そのうちの3分の2は人生の後半に位置していた、と述べています。

これは社会的に成功し、地位も名誉も得た人が、それだけでは満足できず、これからをどう過ごそうかという課題に直面するということであり、ユング自身はこれを無意識がその課題への指針を与えてくれる、としています。

このような無意識的なイメージを直面しつつ、自己を統合していくことを「個性化の過程」といい、心理療法の目的もここに据えています。つまり、意識的な自我の働きによって起きている不適応や症状に、意識的なあり方を与え、自己全体をまとめようとする無意識の働きを考えよう、とこういうことです。

心理療法はまず「告白」から始まります。これはフロイト的にいえばカタルシスを導くことであり、今まで意識、無意識に関わらず秘密にしていたことを、すべて感情とともに語ります。

そしてこれは「解明」という次のステップへとつながります。これはフロイト的にいえば精神分析であり、クライアントの表現する感情や行動を過去における経験を踏まえて明らかにしていきます。このとき、幼児体験や親子の三者関係が中心となります。

この上で、適応可能な自分になっていくために「教育」が課題となります。アドラーはここで「人間の心の中に存在する社会的感情(社会に向けてどのような心を向けるか?)を重要視し、人間のもつ本来的な弱さのためにもそのような感情を育てる必要がある」としています。

とはいえ、ここで大事なのがすべてが治療の対象となるわけではないことです。たとえば、人前ではすごく緊張する人が、その弱さを補償するために俳優さんになったとします。このときの対人恐怖は治療すべきでしょうか? よく考えてみてください。

この3つのステップの上で「変容」という課題があります。これは個性化そのものなのですが、心理臨床家とクライアントとの全人格的なかかわりから出てくる相互作用として起こってくるとされます。ユングはこれを錬金術(物質を配合して金を作る=作業する人の全人格的な没入が必要=クライアントとセラピストとの間にそれが言える)に例えて述べています。

このようなユング派の治療の場合、イメージが重要とされます。特にその中で一番基礎になるのが「夢分析」です。ちなみに夢分析は毎回面接の際に夢の記録をクライアントが持ってくる、という形で行います。

ここでフロイトとユングの夢に対する考え方の違いを示しておきましょう。夢についてフロイトは潜在的な内容と顕在する内容を対応させて考えています。夢は内部の願望をつなぐわけです。しかしユングはそうではありません。夢そのものを現実として受け取り、夢の特徴をこう考えています。

まず夢の働きですが、意識的な態度を補償するもの、単なる夢の領域を超えて、未来への指針となっているもの、意識的な態度を引き下げる逆補償的なもの、無意識をそのまま描写するもの、未来を予知するものなどがあるとしました。

その上で一般的には場面の提示があり、その発展が見られ、クライマックスがあって、結末を迎えるという4つの段階があることを述べています。つまり、劇のようなストーリーを持つことがあるわけです。これは治療の中でも重要で、治療の最初に持ってくる夢(イニシャルドリーム initial dream)は大変重要とします。そのクライアントの問題や治療を考える上で意味があるものと考えられています。

またユング派では現れたイメージそのものも重視し、夢を見た人の連想も重視します。そのようなイメージの中でしか表現できない心のあり方に焦点をあわせ、個人的な連想が少ない場合は、類似のテーマを持った神話や昔話、歴史的なものを用いて素材の持つ意味を豊かにしていきます。これを拡充法といいます。

これの重要な点は拡充はあくまで意味を豊かにするために行うもので、その素材の意味を限定したり、確定したりはしないことです。一般に言われる夢判断はこういう点から大きな間違いを犯しています。

また夢を見たとき、それが実際のその人に関わる出来事として理解するか、それとも、そのある人が自分の内的な対象の置き換えであると理解するかによっても異なります。この前者を客体水準、後者を主体水準といいます。

たとえば自分自身が死ぬ夢を見た場合、客体水準では自分の身体的危機に対する警告として読めるかもしれませんが、主体水準では、自分のあり方そのものが一度死んで、生まれ変わる、と捉えることことができます。この考え方の違いは重要です。

また夢とは異なりますが、能動的想像(active imagination)という無意識から表れてくる情動やファンタジーを批判することなく自由に思い浮かべて、心の中で対話して、記録していく方法も重要で、文章にすることがよくあります。とはいえ、人によってはスケッチするほうがいいこともあるし、ほかの手段がいい場合もあります。このように表現されるイメージの中には個人的の無意識とともに普遍的な無意識が表現されることがあり、自我が弱いに人にとっては危険な方法であるといわれています。

ユング派はまた治療関係についても無意識的なものが存在することを指摘しています。たとえば、クライアントの無意識が心理臨床家に向けられるとそれは転移であり、心理臨床家の無意識がクライアントに向けられると、それは逆転移だとされます。

また出来事の意味をそのクライアントと心理臨床家との間を取り巻く全体の中で考えようとする姿勢のことを「コンステレーション(布置。星座)」といいます。クライアントが意識と無意識を対話させるためには心理臨床家が必要ですし、また臨床家自身、クライアントのコンステレーションを読むためには、自らの無意識に対して開かれた姿勢をとることが必要です。

ユング派はこのようにイメージを大切にしつつ、治療関係におけるクライアントと心理臨床家の関係のなかで、心理療法を進めようしていきます。

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