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精神分析療法


精神分析学は精神医学者フロイトがヒステリー(当時の神経症。今はほとんど使わない言葉)の患者に催眠療法を行う中で作り出したものです。

日常ではまったく出てこないようなことが、催眠時には想起される。ここから無意識という概念を生み出し、その無意識をベースとした人格理論を構築したフロイトは、この無意識にある葛藤をなんとかしようと治療法を生み出します。それが精神分析療法であり、今から100年前に出版した「夢解釈」という本で確立されたということができます。

今では精神分析療法は世界中に広まり、ベースとなった人格理論(超自我、自我、エス or イドとか、エディプス・コンプレックスなんての)は誰もが知っているものとなっていますが、最初はそうではありませんでした。どちらかといえば批判の槍玉にあがった代表格といえるでしょう。

またその中でフロイトの下にいた人たちが(たとえばユングとか)それぞれ分派していろんな心理療法を生み出していったということも指摘できます。

精神分析療法自体もフロイトがやっていた寝椅子に横になって自由連想するやり方が、週に1〜3回、いすに座って(対面 or 背面 or 90度向き)治療者と自由連想「的」に行う、といった風に変わってきています。

対象となる疾患自体もどちらかといえば重症な問題(自我機能不全がメイン)を対象とするようになり、あれこれ細かく分かれている部分がありますので、ここでは基本的な部分のみ押さえます。

[人格理論についてはほかのところで述べている]ので略しますが、一般に神経症的な症状を起こしたり、自己不全な状態(自信がない、人前に出られない、何をしたらいいかわからないなど)に陥る人は、超自我が厳しすぎ、欲動や感情が意識の世界に出てこないよう無意識の中に閉じ込めておきなさい、と自我に対して働きかけている。これにしたがって自我が押さえ込むと、結果、自分が何を欲しているのかわからない、自分が感じられないため何をしているのかわからない、といった状態になり、それが衝動的な行為や身体症状といったものになって現れる、と考えます。

そこで心理療法ではこの厳しすぎる超自我をゆるめ、欲望や感情を表現でき、それをまた肯定できるようにすること(これを無意識の肯定化といいます)、そして自我の発達、強化を促し、適切な方法で今後は対応できるようにすることが目的となります。

超自我は幼児期の親子関係がベースとなっていますから、そこから見直し、修正することも必要です。

治療には「自由連想法」が用いられます。これは思い浮かんだことを包み隠さずすべて話すことであり、これは予想以上につらい方法です。常識や自分の価値観などで判断したり、抑制することは許されません。これを行うことで、無意識な世界を明らかにしていき、自分の内面を自分のものとして理解して、自己理解を深めていくわけです。

この療法の導入に当たっては、日時、場所、料金、目標などについて心理臨床家とクライアントの間で最初に決めておきます。クライアントの健全な自我と、心理療法家の健全な自我とが同盟を結ぶことで、心理療法を持続させる関係が作る。これを「治療同盟(theraperutic alliance)」といいます。

そして心理療法家はクライアントに対して「思い浮かんだことはすべて話す。また夢で見たこともすべて話す」よう告げます。

フロイトはここで心理臨床家は「平等に漂う配慮」を持ってクライアントの話を聞かなければならないと述べています。心理臨床家が特定の意図を持ったり、特殊な話題に関心を持ったり、自分の価値観で判断することを戒めたのです。これを行った場合は連想の聞き逃しやずれた対応につながってしまいます。

クライアントのいうどんな言葉にも反応できるように平等な配慮を払う。

特に療法の最初の頃はクライアントは心理臨床家を厳しい観察者ととらえ、恐れることが多いです。それが回を追うにつれて自由な気持ちで語れるようになります。超自我が緩み始めてきた、ということです。このとき抑えていたことを言えて気持ちが軽くなったり、自己肯定感が増し、カタルシスな作用が見られるようになります。このベースを作るのが「平等に漂う配慮」なのです。

とはいえ、そのままずっと進むわけではありません。いつ頃から「抵抗 resistance」と呼ばれるものが見られるようになります。たとえば、予約した時間に遅刻したりするようになったりするわけです。人間にはもともと押さえ込むところがあるわけで、それを開放するのがこの心理療法の場なわけですから、これは当然なことといえるでしょう。

この抵抗には自分を守る防衛性抵抗とともに「転移性抵抗」(そのまんま転移っていったりもしますが)があります。この転移が興味深いもので、もともと心理臨床家というのは人ですから、クライアントはたとえば、厳しい人ととったり、わがままな人とったり、やさしい人ととったり、いろいろあるわけです。これをそのまんま心理臨床家への態度として表すのが転移で、これはクライアントがこれまでの人生の中で接してきた重要な人物(両親とか)の像を治療者に重ねていると考えられています。

たとえばクライアントが女性だったら、臨床家が年上の男性なら父親や兄、女性なら母親や姉といったように見立てたりします。また、子供が親に話すような気分になったりもします(治療的退行といいます)。

一般に臨床家を厳しい人と見立てる場合を陰性転移、逆に優しく愛情ある人と見立てる場合を陽性転移といいます。ある程度なら問題ありませんが、どちらも強くなると心理療法の妨げとなります。

これら抵抗は何故そうなるのかをクライアントと一緒になって理解することが重要で、この段階から抜け出すと、心理療法はかなり進んだことになります。

全体的に話を聞くのがこの心理療法の基本ですが、クライアントが必要なことに気づくよう問いかけたりする「介入」などももちろん行われますし、あいまいな体験をはっきりさせる「明確化」や、クライアントが軽視し、回避していることに気づかせる「直面化」なども行われます。

また、ワーキングスルー(working through)といわれる、何が問題なのか理解できてもその問題が解決できない時間が存在します。これがどのくらいなのかは人によってそれぞれで、クライアントの基本的な自我発達や強さ、自己治癒力によるところが大きいわけですが、この時期を通して、問題が解決できたと臨床家とクライアント双方が思えれば、そこで治療は終結します。この判断は大変難しく、フロイト自身「終わりある分析、終わりない分析」という論文を残しているくらいです。

このような精神分析療法ですが、アンナ・フロイトやメラニー・クラインといった学派は違う2人の女性によって遊戯療法になったり、アッカーマンによって家族療法にも適用されています。

細かくは精神分析学を勉強していただければと思います。

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