一番下へ
このページはPC版を携帯向けに変換して表示しています。

感情と人格


感情や人格の話は、皆さんが思っている心理学のイメージに一番近いと思います。ではそこを、心理学的にはっきりさせましょう。

感情はさまざまな言葉で呼ばれます。つまりそれだけ種類があるわけですが、心理学ではそれらをちゃんと分けて使うことがあるので、まずそこを説明しましょう。

まず全体としてのまとまりを「感情 affection」と呼びます。これにはさまざまな要素があると考えられ、「感情 feeling」や「情動 emotion」「情操 sentiment」や「情熱 passion」そして、「気分 mood」という、比較的長い間持続するものも含んでいます。

感情を心理学的に定義すると、個人の心の中で起こる、喜び、悲しみといった主観的な経験のことをいいます。これらは時に、笑いや涙といった身体的な表現を引き起こすこともあります。

感情を考える理論には二つの説があり、その一つが「人は悲しいから泣くのではなく、泣くから悲しいのだ」という言葉で有名な、ジェームズ・ランゲ説です。

ジェームズはもともと生理学者でした。その知見から、刺激に対する末梢の身体的変化が感情を引き起こすと考え、そのための理論を考え出したわけです。かなり歴史のある考え方です。

しかし、近年はこの考え方に加え、「日常生活の中に見られる複雑な情動は、いくつかの因子に分けられて、これはまた総合もできるんじゃないか?」という新しい説がプルチックという人によって提唱されました。これは、情動は人間以外に犬とか猫でも見られるし、微生物にだって存在するかもしれない、だから情動を単なる生理的な反応としてみるのではなく、環境に対する順応行動(その場にあわせること)としてとらえようとするものです。

その理論を説明するためにプルチックは、知覚における色彩立体モデルというのを利用して、情動の立体モデルを作り上げました。

[情動の立体モデル+]

プルチックはこの図を使って、1) まず純粋な情動があり、2) その純粋な情動というのは、生理的基礎や行動において特異的で、3) それぞれが両極的に対になって存在し、4) その情動には強さのレベルがある、という考え方を説明しました。

一番てっぺんにある、受容や戦慄といった項目が、純粋な情動です。色でいえば、原色です。これらは同時には存在できません。そして、それぞれの情動には、まるで反対色のように、相反する情動があります。受容の反対側なら、嫌気のようにです。

その嫌気もさらに下に続いていて、嫌悪、拒絶とあります。これが強さのレベルで、下に行くほど弱くなる、と考えます。

これらの純粋な情動がいろいろ結合をして、混ざり合った情動を作ります。日常で見られるのはそれらの結合した情動です。これはまさに、混色の考えそのものです。

これがプルチックの考え方の基本ですが、では、ジェームズの考え方と、プルチックの考え方、どちらが正しいのかといわれれば、それはまだわかりません。実際には、前に書いたように学習によって感情が左右されることもありますし、そう簡単に説明できることではないのです。

ところで、プルチックの図の真中には、線のすべてが集中するところがあります。ここは、いろいろな情動が発生するものの、同時には存在できないため、拮抗している状態を指し、このことをコンフリクトと呼びます。

コンフリクトはストレス、欲求不満などを考えるときに重要な事柄です。その状況に向かいたい接近と、その状況を避けたい回避の2パターンがあり、それらは組み合わさって、いくつかの型を作ります。

たとえば、裏表で見たい番組がある、といったような「接近-接近型」や、ねずみと蛇、どっちも食べたくないのにどちらか食べなきゃいけないときのような「回避-回避型」、ケーキが食べたいけどダイエットが、みたいな「接近-回避型」に、2つの会社から内定をもらったものの、生活の安定と自分の能力を生かすこと、どっちにしよう、みたいな「二重接近-回避型」の4つがあります。

これらはどの状況でも、葛藤が生じ、またストレスが生じます。適度なストレスは日常生活を送る上で必要ですが、過剰なストレスは情緒の異常につながり、人格に影響を及ぼしたり、体に影響を及ぼしたりします。そのとき、ストレスに対処する能力(コーピング・スキル)をさまざまに活用し、生活していくことが大事になります。

さて、このように感情というのを考えてきたわけですが、ここに知能や社会的態度などのさまざまな面が加わわると人格が作り上げられます。

心理学的に「人格 personality」と「性格 character」は似たようなものといえます。あえて区別するなら、人格は「環境によって変わることがありえる」ととらえるのに対し、性格は「生得的で変えるのが難しいもの」というニュアンスがあることでしょうか。

この人格をさらに細かく見ると、まず遺伝的な「気質」、そしてその上に発達によって獲得する「性格」があって、その上に仕事上のキャラクターなどの「社会的性格」があるとされます。気質は変えることは難しいですが、社会的性格は立場が変わったりすれば、すぐに変わる可能性もあります。性格という言葉は、この下位部分だけに着目した言い方、といえるでしょう。

たとえば、「大人になったね」とか「仕事が変わったら人が変わった」というものは、その人の表面的な性格や社会的性格を指しているといえます。これに対し人格といった場合はその人の遺伝的な性質や、社会的な側面など、すべてをひっくるめて考えるわけです。

この人格を構成する理論にはさまざまなものがあり、大きく分けると、類型論や特性論、行動学的なアプローチや、精神分析的アプローチなどがあります。

類型論は、人を似たようなタイプに分類する、というやり方で、その代表例が「クレッチマーの三大気質精神型」です。

分裂気質……非社交的で孤独を好む。理想主義的で極端な行動に走りやすく、興味が狭く、深い。過敏だが、自閉的な鈍感、つまり冷淡である。

循環(躁うつ)気質……分裂気質の正反対。社交的で温和、現実主義で、興味は広く、浅い。躁状態と抑うつ状態の二面を持つ。

てんかん気質……几帳面で思考は変えにくい。物事に熱中しやすく、粘着性と爆発性の二面を持つ。

これは三大精神病の病前性格を一般の人に当てはめて分類したもので、分裂気質者には体格が細長い人、循環気質者は太った人、てんかん気質者は筋肉質の人という、体格との関連も述べています。

特性論は、人はさまざまな因子から成り立っている、と考えるやり方で、最近はビッグ・ファイブと呼ばれるのものが注目を集めています。

行動学的なアプローチでは、人格ができるその過程を学習や生物学的な視点によって考えます。アイゼンクは内向的な人は条件付けしやすく、その人は興奮優位の神経系を持っていると述べ、神経系を基礎に条件付けによって人格が作られる、と考えました。また、ドラードとミラーは、学習された行動が習慣化されることで人格が作られると考えています。このように、学習の理論を使って人格を考えるのが、行動学的なアプローチです。

とはいえ、この中で一番有名なのは精神分析的アプローチでしょう。それはフロイトが最初です。

フロイトは神経症には、幼児期の性愛的な体験が影響していると考え、そこから、理論を作りました。その基本には心のエネルギー源であるリビドー(広義の性欲)と、無意識の世界が置かれています。

人格は、イド(id)、自我(ego)、超自我(super ego)で構成されます。イドはすべてのことの源であり、ここから「〜したい」といったことが出てきます。イドはただ、そのしたいことができればそれでいいので、手段は問いません。何か飲みたければ、人から奪ったっていいのです。これを快楽原則といいます。しかし、これでは日常生活は送れませんので、これを現実的な形に直したり、無理なものは無理として抑えることが必要です。この仕事をしているのが自我で、現実主義的なコントローラーである自我の機能は大変重要です。

そのイドと自我には、親からのしつけなどによって獲得した道徳観や社会的なルールといったものが、超自我という形になって影響を及ぼしています。

フロイトは、自我や超自我が未成熟だったり、それぞれの動きが悪かったり、働きのバランスが悪かったりすると、さまざまな問題が起きると述べたのですが、もちろんこの考え方に反対した人もいます。その一人でフロイトの弟子であった心理学者ユングは、フロイトと決別して「分析心理学」というのを作ったりもしています。

ユングは人格を、意識と無意識の中でさらに分け、無意識の中には、集合的なアニマやアニムスと影、個人的な自我や自己、そして、意識の世界にペルソナがあると考えました。

男性が持つ女性像アニマや、女性が持つ男性像アニムスを基本とし、その上には自我とはまったく反対に働く「影」があるとしています。これらは集合無意識と呼び、世代を超えて受け継がれてきたものと考えます。この上には、その個人の自我や自己がくるのですが、ユングは自我を「意識の中心で人格の安定性と統合性を保つもの」とし、自己を「集合無意識までもを含めた全体の中心」と考えました。この上に、日常生活の仮面としての性格、つまりペルソナがある、としたわけです。

ユングは、自我がこれらすべてをまとめようとする傾向があるとし、人は最終的には自己の統合を目指す、その過程を「個性化の過程(または、自己実現)」として、人生の目標に据えています。

ユングのほかにも、アドラーの個人心理学や、ホーナイ、フロムなどの新フロイト派の精神力学、マスローの有機体理論などさまざまあります。これらはそれぞれ独自な側面から人格を解明しようとしていますが、これらの理論でどれが一番優れているかということはいえません。それよりも、それぞれ補い合って人格を見ていこうとするのがいいと思います。

感情や人格といったものは、人間の心を表すひとつの目安です。これからもさまざまなことがわかってくると思いますので、ぜひ注目してみていきましょう。

[前へ] [次へ]

[トップページへ] [前へ]


一番上へ TOP