信号も変わる(07年7月)
うちの近くの信号機が最近変わったのです。薄くなったなあ、とかそういうのもありますが、決定的に変わったのでありました。表示が。
携帯で写真を撮ってみる。
これが今までの。
[今までの信号+]
そして、これが新しいの。
[新しい信号+]
わかりました?そう、新旧で図と地の関係が反転しているのであります。
[新旧の信号を比較+]
しかも、新しい信号機は明滅しているのでしょう。カメラのフレームレートと一致しちゃってなんか写りがあれになったりもします。
[明滅している信号+]
主観的にどちらが理解しやすいか、という事を考えると、色だけでも認識できるこれまでのと、遠くからでも把握できるだろう新しいのはなかなかいい勝負かもしれないな、と思ったりしますが、どうでしょう。ちなみに、こんなようなことは大学で心理学を勉強すると、「知覚」「認知」「ゲシュタルト」などという単語とともに迫ってくるものかと思います。
ちなみに、こういう学習の必要がない、誰でも直感的に理解できるシンボルに「ピクトグラム」というのがあります。本来のピクトグラムは、
・黒地に白の図
・図は色を持たない
という条件があります。図が色を持ってはいけないのは、色に意味を持たせてしまうと、色覚異常の人にとって使いづらいから。それに、色の持つ意味と図があわないと大変なことになる。
たとえばね、青信号をほんとに青にすると、えらい見づらいわけです。そこで、ちょっとグリーンを混ぜてみると、ちょうどよい感じになる。青に許可の意味を単純に持たせるだけだと、ちゃんと使えなかったりする。
[本当の青信号は見にくい+]
でもって、普段は禁止の意味を持つ図の色を変えるだけで、なんか意味が変わって見えたりもする。
[禁止のピクトグラムで遊ぶ+]
ここでこけなさい、といわれて、こけれる人はそうはいません(そういう問題じゃない)。
というわけで、さっきの条件は以外と重要なのですが、まあ、多くの場合は、
・図と地で明度差がある
・直感的
そんなアイコンであれば、ピクトグラムと呼んでしまう感じです。
ピクトグラムの話をし出すとそれだけで一冊の本ができるかも!?な感じ。この世界は大変深い世界ですが、今日のところはやめておきます。なんせ、国を超えたりすると、結構な独自性を発揮したりして、わけわかんないものとかあったりするもの。しかも、ピクトグラムがなぜ文化を超えて理解可能か、認知レベルではどんな理解がされているのか、とか話し出すと、心理学の最先端研究まで行き着くので、そこら辺は清水寛之さんの「視覚シンボルの心理学」とかに譲る。
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