メールカウンセリングに思うこと。(2002年6月)
数少ない心理臨床系専門誌、「現代のエスプリ」(至文堂・発行)の今月のテーマが「メールカウンセリング」だったもんで、ちょっと気になって取り上げてみたいと思います。
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メールカウンセリングというのは、メールを使ってカウンセリングすることであって、この解説にも何もなってない一言がすべてを表しています。普通のカウンセリングと同じように治療契約を結び、クライアントが送ってきたメールに対してカウンセラーは決められた期間内に返信するそうで、なんともう、協会までできてるそう。10年ほどしか歴史はないらしいんですが(アメリカで。てことは、日本ではほんの数年か、下手すれば、まだ数えるほどかも)、フロイトの「心理書簡法」をもとに理論作ったりとか、講習会開いてカウンセラー養成したりとか、いろいろあるようです(あくまで本屋で立ち読みしてきただけなので、よくはわかりませんが)。
メールを使っている世代ってことは、必然的に若い人が多いですから(こういう私もまだ……です)、カウンセリングルームとかにはなかなか来ることができない社会を考えると、いいことだと思います。何しろ、安くすみそうだし、気楽でいいですよね。
ただね。個人的には気になることがひとつ、ふたつないわけではありません。
そのひとつは、クライアントがカウンセラーに特別な気持ちを持つ、つまり、転移がおきやすくないか?という疑問。やり取りがものすごく薄い、表面的で、間隔が開いてるものなら全然大丈夫でしょうが、毎日のようだったりすると、結構やばそうです。逆転移も心配です。会ってないんだから、遠距離恋愛みたいな感情とかにならないとも限らなさそう。
それに加えて、カウンセラーは普通よりも何倍も感度が高くなくちゃいけないんじゃないかな?と思う。考えてみればわかるけど、メールには普通、必要最低限なことしかないわけで、だとすると、その中でどこまでカウンセラーは読み取れるか、ってのが大事な気がするわけです。
もちろん、こういうのは経験が大事なわけで、下手すれば講習なんか受けなくたって、ちゃんとカウンセリング・マインドを持つ人なら、つまり、相談とかに乗ってあげられる人なら、大丈夫なんだろうけど、いわゆる「職業として」カウンセリングに挑む人にとっては、それなりに大変なんじゃないかなと思います。
カウンセリングに限らず、人を扱う仕事、つまり、お医者さんとか、看護婦さんとか、それだけじゃなく、心にアプローチする、作家さんとか、アーティストとか、みんなそういう人って、ある程度高い感受性があると思うんですね。何しろフロイトとかユングとか、偉大な精神科医は自身も理解しているほど、神経症的ですし。
だから、メールカウンセリングをやるには、相当ぎりぎりな感受性がないと、出来ない気がします。
それになりより、文章がうまくなくちゃだめでしょう。人に読ませるような何かがないといけないような気がします。でないと、長く続かない気がする。
こう考えると、メールカウンセラーにはそれなりな適性がある気がします。どうでしょう?
本日のまとめ。
メールカウンセリングは手軽そうで、奥が深そうだ。そゆこと。
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