幼児から児童へ
子供が小学校に入る、この頃が幼児と児童の分かれ目と言えます。
それまでの幼稚園や保育園にいた頃と違って、たとえば勉強が難しくなったり、人間関係が変わったり、生活が変わったりと、ある意味、大きな変化を遂げるこの時期は、子供の知的発達や感情面の安定などに支えられて過ぎていきます。
小学校低学年くらいの特徴を並べておくと、
・具体的な対象であれば、論理的な思考ができる。つまり、落ちついて課題に取り組めるようになる。
・生活的概念から科学的概念への移行。その統合が課題となる。
・情緒面が安定し、自己のコントロールが可能になる。
・自分の行動や考えを振りかえっって、それを次の思考に生かせるようになる。
先生が言うことや教科書にある文字や記号、そしてそれを読んだり、使ったりしていくことを学びつつ、それが実際の場でなくても生かせるようになる、というのが大きなポイントです。
このときの子供は「わからないものを出されて、それの理解や答えを求められるがゆえに、思考し、答えを得る」という、意識的な学習をしています。
しかしこれと同時に実際に体を動かし、体験する学習、というのも大事です。
現在の学校教育では、通常「教師」がいて「子供集団」が存在する、という点では幼稚園や保育園と変わりません。
しかし、その中に授業という時間的枠組みがあったり、「教室」という空間があったり、時間割というスケジュールや教科書という枠組みが存在するので、幼稚園などとは大きく異なるものであることも知っておくべきです。
そしてえてしてそこでは教師が主導となり、学級集団としての固定的な枠とリズムが作られていくわけです。
これがいいとか悪いとか、そういうことではありません。ここで大事なのは、学級集団が作られる、というのが、学習の場となると同時に、生活の場にもなるという点です。
そしてそこに子供同士の人間関係が生まれ、教師との間に信頼関係が生まれていきます。
このどこかに問題が発生すれば、適応上の問題が起こりえます。
小学校低学年でいじめや不登校、というのはかなりまれです。しかし、今までとはまったく違う生活を行っている以上、その場に必要なルールが飲み込めていなければできないこと、たとえば授業になったら教科書を開くとか、授業前にトイレに行っておくとか、そういうことができなくて、不適応を起こすことがあります。
給食なんかの場合は食べるのが遅かったり、好き嫌いがあったりすると大変です。それに、社交性があまりない子供も友達作りには苦労します。
もちろん、学業が原因になることもあるでしょう。たとえば、テストの出来で優劣をつける学校では、たとえそれが明確にはわからなくても、その個人に大きく響いたりします。それによって自信を失ったり、将来の展望が開けなくなったり、ということもありえます。
また、教わることそれ自体が退屈になって、つまらなくなることだってあるかもしれません。
これらに対して教師や親は注意を払うことが必要です。
友達ができれば遊びに行き、家に帰る時間もどんどん遅くなっていきます。これは親からしてみればどんどん目に入らなくなっていく、つまり心配の種となりがちです。
しかし、親の知らない世界ができるということは、親離れが始まっているともいえます。
このとき大事なのが仲間の影響です。低学年は仲良しだけでなく、大きな集団も形成します。典型例が学級でしょう。この集団には暗黙のルールができています。そしてそれが子供の行動や考え方に影響を及ぼします。
ルールといっても、たとえば遊び方とか、文房具とか、そういうような大人から見るとたいしたことないものがほとんどです。しかし、ここには、個人の考え方よりも、何を仲間がよしとするのか、それが大きくかかわるという点で、重要な意味があります。
「みんながやっている」というパワーがここに生まれるのです。
学校に行って、授業に出ることは当たり前のように思うことがあるかもしれませんが、その中にはこのようにさまざまなエネルギーが見られます。
子供が大きくなる、というのはそのようなエネルギーの間の中を、歩いていくことなのかもしれません。
[トップページへ] [前へ]